一瞬の気づきで輝く コーチングガーデン 2012年02月
最近、私はある有名な方のメルマガを見なくなりました。
まだ受信はしていますけど。

理由は、今までは心地よいと思えていたことが、なんだか心苦しいというか、読んでいて後味が悪くなってきたからです。

どんな点で嫌になったのかと言うと、こんな単純なことなのです。

そのメルマガを読んで「ああ自分もこうやってしまっている」とか、「そういう人、いるいる!!」と思って楽しみに読んでいました。
何だか歯切れもよく、良く言ってくれたなんて思うこともありました。


「歯に衣着せぬ物言いで、いろいろなことをメッタ切り」って感じです。


なのにもかかわらず、なぜだか、だんだん嫌になってきました。

よくよく考えたら、いつもいつも批判ばかりで、読むのに疲れてしまったんです。
(批判という言葉を使いましたが、いい言葉がなかったので、これから先はこの「歯に衣着せぬ物言いでメッタ切り」を批判と定義することにします。)


たぶん。


その人のメルマガが来ると一応目は通しますが、最近は「まただ・・・」と言う感じで、途中で読まなくなってしま手います。
批判ばかりだと、やっぱり人間は耐えられないようにできているんだなあということなのでしょうか。



実は、既に私はそれを、嫌と言うほど十分に体験していました。
すっかり忘れていたけど。


何でも物事を批判的に見る代表格が私の母親。
こんなに近くにいい見本があったではないですか。

母はよく父を批判していました。
何かちょっとしたことがあるとすぐに文句を言い、さらに過去を持ち出して延々と続き・・・・・

もちろん同様のことは私に対してもありましたが、父や兄弟にしているのを聞くのも堪えられないものでした。

今ではほとんど実家に顔を出すどころか電話さえしていません。年に1回か2回ぐらいかな?
実家を離れた時は、とっても幸せに感じました(^_^)。


昨日参加したセミナーで、「人の悪いところはたくさん目につくならば、それは自分の裏返しでもあります。」と先生がおっしゃっていました。

前々から十分に分かってはいることでしたが、本当に自分はできているのかということも反省する良い機会となりました。
先日のコーチングでクライアントさんに対して、良いところが言えてなかったことを思い出しましたから。
こういうことを言われないと、なかなか自分の振り返りってしないですね。


さらに、いろんなことがシンクロするもので、たまたま読んだブログに書かれていたことです。

  他人の欠点や物事の問題点を発見しては、否定、批判をしたがる人がいる。
  なまじ頭のいい人に多いのですが、実は自分に自信がないことの裏返しであることが多い。
  自分より劣っている人とばかり付き合っていて、「お山の大将」のような人。「自分が一番」という人です。
  自分が批判される事を嫌い、「他人を批判する立場」を楽しんでいる人の事です。

きつい~~。


最初にお話ししたメルマガの筆者はそうではないと思いますが、こう思われることもあるんですね。
「すべてのことには理由があり、人は何事に対しても最善を尽くしてやっている」という考えが私は好きです。

ですので、批判は楽しんでいるのかもしれないけど、やはり良くなってもらいたいと思っているからではないでしょうか。

さらに、批判されるような行動をしてしまった人を考えると、その人だってその人にとってその時は最善だと思ったことをやっているので、そう考えると、批判するのもやり方があるとは思います。


批判のすべてが悪いわけではないはずですが、何事もほどほどにということが必要なんだと思います。
やはり、批判を受けるということは自分にとって最良の薬だと思っていますから。


今日の結論は「ほどほどが大事」かな?
コミュニケーションはやはり難しいです。

コミュニケーションというのは、辞書を見ると、「感情、 意思、情報などを受け取りあうこと、あるいは伝えあうこと」とあります。
日本語だと意思の疎通ということが言えると思います。


単なる会話(カンバセーション)ではなくて、双方向のやり取りで、持っている情報に対して単なる発信ではなく、発信した内容と受け取った内容が同じものとして共有される必要があるのです。


先日、ある団体からコミュニケーションのセミナーの依頼があり、セミナーの主催者と打ち合わせをしました。


そこで、以前自分がその団体主催のランチ会に参加したことの体験をもとに、テーマの提案をしたところ、


「自分たちはそういうところはできてます!」とはっきり言われました。


この方はいろいろと勉強もされていて、コミュニケーションやNLP(心理学)のこともご存じなのです。
ですから、自分のことにはとても自身があるのだと思います。


私はちょっと困りました。


その団体の集まりに私が参加するときに事前に聞いたことは、

 「団体が主催する集まり」
 「楽しい催しがあるランチ会」
 「団体に所属していない人もたくさん来るから安心できる」

というものでした。


当日、ランチ会の会場に着いた時のことです。

会場にいる人たちは、みんな楽しそうで知り合い同士という感じでした。


さらに、会場には受付がなくてどうしたらよいかわからないので、私は疎外感でひっそりと会場の外に立っていました。
私は、「このランチ会は、団体に所属している人のために開催されているので、それ以外の人は部外者扱いなのかな。だって、どうしたらいいかわからない状態だから。」と思いました。

「もう帰ろうかな」とも思いました。


このこともあり、セミナーの打ち合わせでは、伝えるときの重要性を話したところ、

「私たちはそういうところはちゃんとやっていこう!ということで、からなず
「団体に所属していない人もたくさん来るし、こういう団体が主催している」
ということも伝えています。」

という返事が返ってきました。

でも、私には「伝わっていなかった」んです。
それは、私がきちんと聞かなかったから?


実は私だって、同じことをやってしまっています。
私があるコーチの人と話をしたときのことです。

私 「家にいても仕事の情報を得るために本を読んだりテレビを見たり
   していて、忙しくてなかなか自分の時間が取れないの。」

相手「テレビ見たり、本を読んだりする時間はあるなら、それは自分の
   時間は取れているってことでは?」

相手にこう言われて、私は「この人は私のことを分かってくれていないなあ」と思いました。


コミュニケーションをするとき、人は「お互いは分かり合える」と錯覚しがちです。

しかし、この会話に出てくる「自分の時間」についてを考えてみると、
「自分の時間」の概念が同じではないので、お互いに分かり合えていません。

これは特別なことではなく、実はどのような会話にでも起こりうる現象です。


これが、「自分の地図と相手の地図は違う」ということです。


人は、情報を得るときに、自分の持っている地図に照らし合わせて自分に取り込みます。


この地図は、今まで得た知識や経験、教わったことなどから出来上がっています。
ですので、人によって地図の内容は違っています。


地図が違うということは、同じ情報を受け取っても、取り込まれる内容は人によって違うということです。
だから、「自分の時間が取れていない」と発信したにもかかわらず、
相手は「自分の時間は取れている」というふうに受け取りました。

受け取ったことが全く違う解釈をされても仕方がないことなんです。

だから「ああ、この人は自分の時間の概念が違うんだ」と分かり、本当はそこで「自分の時間って・・・・なんだ。」と後から説明ができるのです。


ここで、せっかく相手の相手からの反応に対して「あの人はわかってくれていない」で済ませてしまうことが多くあります。

「何で、私の言ったことが分からないんだろう?」
「私はちゃんと説明したのに、なんで説明できていないって思われるんだろう?」


相手が何かしらの反応を返してくれたということは、とってもラッキーですね。
その情報から修正をすればいいからです。

“相手の反応が自分のコミュニケーションの成果である。”


相手からの反応は、ただ単に、自分のコミュニケーションの成果なのにもかかわらず、ついつい、相手の反応を受け取った時に、感情に走ってしましがちです。

「自分の時間」の会話についても、私の受け取ったのは「この人は分かってくれていないなあ」でした。

そうなると、「なんでわかってくれないの?」となってしまいます。
その先は、「もうこの人に何を話してもわかってくれないだろうなあ」となってしまうかもしれません。


恐ろしい結果です。

私は、コミュニケーションの成果ということをよ~く分かっていながら、ついつい「分かってくれない」と反応してしまいました。


分かっていてもできないんですねえ。
ほんとに。

単なる成果を相手が発信してくれただけなので、本当なら素直に「こう反応したんだ」と受け取ることが必要でした。

そうすれば、「こう情報を修正するとわかってくれる」と問題解決できます。
次回は、同じような間違いはしないでしょう。きっと。


きちんと相手の反応を受け取って、そこから自分の発信を修正してみることが
できてくると、本当に良いコミュニケーションに繋がると思います。


ある団体のセミナーのテーマはコミュニケーションに決まりました。
私の気持ちが分かってもらえるように、うまく盛り込みたいと思います!
私は、会社での仕事はテキパキこなすのに、家ではついついダラダラしてしまうんです。

回りからは、何でもやることが早いとよく言われるんですが、
自分では決してそう思っていません。

というのは、、、

コンテキスト(事情・背景)が違うと、まったく別人格のような動きなので、
「みんなが言うことって当たってない」って思ってしまうんです。

だから、占いも当たらないのが多いなあと思うんですよね。
占いでは、仕事のときの自分を考えればいいの? 
それともプライベートのときの自分?


今日のテーマは、占いが当たる当たらないではなくて、、、、


やろうと思っていたことはあったのに、ダラダラしてしまっているような、
そんな自分だから、夜になると、
   「なんで今日一日暇だったのに何もしなかったんだろう?」
ってついつい思っちゃうんです。

たとえば、雑誌が本棚を占領しているのを見て、最近は毎日のように
「必要のない雑誌は捨てて、本棚を早くすっきりさせなくては。。。」と
思っていますが、手を付けていません。


そんな経験はありませんか?

最近、そういう先延ばしを少し直したいと思って、
いろいろと方法を試しています。
いくつかやり方はあるんですが、一番大事なと思うのはコレ。
 
   本当に今やる必要があるのかを確かめる。

よく陥っている状況としては『しなければならない』と思ったり、言ったり
していること。
いわゆる、「常識だから」と思ってしまうこと。


本当にそれって『しなければならない』んですか?
ここがポイント。

実は、この『しなければならない』という思考は、

  「仕事ではちゃんとしているのに、プライベートでは
  そんなこともできない、本当は”ダメな”人間なんだ」

と、ダメという烙印を押したりします。
本当はダメな人間ではないはずです。


私は、小さいころはものすごく真面目な人間でした。
クソが付くような。。。。

   「事業中は真面目に先生の話を聞かなければいけない。」


そうやって超真面目に育っていった私が、高校2年になった時のことです。

ある日席替えがあって、後ろから2番目の席になりました。
そして、その直後の国語の授業中に、後ろ席の女の子が私の背中をトントン
叩くんです。

彼女は友達も多く人気者で、不良ではないけど、奔放な自由人でした。
その頃は彼女とは友達ではなく、話したこともほとんどありませんでした。

そんな彼女から背中をトントンされても、私は真面目だから、


   「事業中は真面目に先生の話を聞かなければいけない。」


なので、後ろなんて向きたくありません。
でも、彼女はまだ背中を叩いてきます。

何度もトントンされるのは嫌だから、私は意を決して
後ろを振り向きました。
そして、本当に真面目な私がその彼女と少しおしゃべりをしたのです。


その時自分で思ったことは

   「授業中に後ろを向いても大丈夫なんだ。」

でした。

その後は、彼女と仲良くなり、今では彼女は大親友です。
おかげで友達もたくさん増えましたし、高校生活はとっても楽しかったです。

親に隠れてイケナイことをした経験は、あの時やっておいてよかったと
心から思っています。


「~しなければならない」って本当ですか?


それは、自分にとって有益でしょうか?
もしかして、それが自分を縛っていることはありませんか?


実は、「雑誌は今は片づけなくてもいいんだ」という考えもできるんです。


部屋の片隅に積んであってもいいわけです。
また、きれいに飾っておくことでもいい。カフェみたいに。
今やらなくったって、正月休みにやればいい。


結局、雑誌の片づけは先延ばしして、廊下の隅に積んでおくことにしました。
そして、1年たったものは捨てる。


何か先延ばしにしていることがあったら、少し立ち止まって、
「~しなければならない」に縛られていないか考えてみると
良いかもしれませんね。


一人で考えると罪悪感が残ったりしますが、人に話してしまうと、
なんでそんなこと悩んでいたんだと思うほど感覚が違ってきます。


1月のセミナーでは、この先延ばしをテーマに、どう考えていくといいのかを、ワークを通して皆さんに体験していただきました。


そしたら、、、、、


そのあとの懇親会では、もうそのワークの時の言葉がけがガンガン飛び交い、
帰りの電車でのお別れの挨拶は、その言葉で締まりという具合に、
とっても面白く楽しいものになりました。


そして、参加者の方から後日いただいた感想では、

「あれから、自分の行動の速度が速くなってきました!!
 すごく不思議なんですよね。

 なんだか、決断が早くなった気がします。」

とのことでした。


そんな効果もあったなんて。
うれしいです。




テーマ:おすすめ
ジャンル:ビジネス