一瞬の気づきで輝く コーチングガーデン 正当化の末路
何事もやり過ぎというものはよくない。
分かっていればいいが、それをやってしまっているという意識が全くなく、繰り返し行うのは手に負えない。


相手の言動に対して、それがおかしいと思って指摘したときに、それに対して何かが返ってくる。

それは、もちろん正しい反論かもしれない。
そうではなく、言い訳だったり、ただの反論だったりすることも多い。


言い訳のうまい人は、たいていそれ以外のことにはなにもできないものだ。
ベンジャミン・フランクリン (米国の政治家・科学者)




この名言を見て、思わず笑ってしまいました。
言いわけというのは、こんな風にも見られてしまうものだと。


最近、人が言い訳しているのをよく聞きます。


多少なら聞く気にもなりますが、これがしょっちゅうだと、
もうイライラしてきてフラストレーション。。。。。


でも、言い訳している本人は、常に言い訳ばかりしているとは気が付かないものようです。
この、「本人は意識していない」ってことが、とっても問題です。

まあ、私にもたくさんあるんだけど。
ついつい口から出てしまいます。

やっぱり、相手に自分を分かってほしいなあと思う。


指摘に対する反論をする理由として、「相手に自分を分かってほしい」と思う気持ちで出てくる行動なのだけど、もう少し吟味してみると、、、、

・指摘が勘違いなので、それを正してもらうため
・自分の問題点を隠すため
・自分の非を認めたくない

他にもあるかも知れませんが、、、(言い訳 ^^;;;;;)


ここで、何が問題なのかというと、そこから先の思考がなくなるということです。


「どうしてそういう指摘を受けたのか」
「自分のどういうところがそう受け止められてしまったのか」

この考えに行きつきません。
そうすると、いつまでも同じ行動を起こす可能性が大いにあります。


言い訳したら相手から反論がないからこれでよかった。
こういう理由だから仕方のないことだ。
あの人の指摘はあっていないんじゃないのか?

こう思った瞬間に、「自分が正しい」ということになり、それ以上の思考がなくなるのです。


同じ問題は起こしたくないはずなのに、、、、


だから、言い訳も反論もせず、素直に「ありがとう!」と受け取ることができるといいですね。
難しいことではあるけれども。

でも、そうすることで、その指摘に対して真摯に取り組むことができるんだと思います。
自分を成長させることができると思います。



私もいわれのない中傷を受けたことがあります。
その時は憤慨しました。

そのことについて、周りの人からも私が悪いのではと言われたこともあります。

でも、ある日、気が付いたんです。


何気ない一言が、その人の気持ちを変えてしまっていることに。
親切で言ったことが、深く傷ついたのかもしれないということに。


指摘するというのは勇気のいることで、普通の人はそんなことしてくれません。
何か言うと、相手の気を悪くさせると思っているから。

なのに、わざわざ言ってくれる人は、「それを直すともっと良い人になれるのに」とか、「本当に直してもらいたい」と思う気持ちがそうさせているからなのです。


それから、

「指摘した人が意地悪な人だったら?」

たとえ自分は意地悪だと思っていても、相手がそれを虐めるために言っているのだとしても、そのことを見つめるとってもいいチャンスです。
それを直せば、相手からいじめられる隙も一つなくなったことになります。


すべてを素直に受け取る


このことが人を成長させるのだと思います。


今の私があるのは、そのいわれのない中傷のおかげだと、本当に感謝しています。

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