一瞬の気づきで輝く コーチングガーデン 「穏便に済ませる」の裏側
「できるだけ穏便にお願いします。。。」



辞書で“穏便”を引いてみると。

 1 物事をかど立てずおだやかに行うこと。また、そのさま。「―な処置」
 2 手軽なこと。便利なこと。また、そのさま。


この場合は、1だ。


かどを立てずに穏やかに行う。


つまり、穏便は何もしないのではなく、何かをすることなのだ。
しかも穏やかに。


しかしながら、全く違うことに使われるように思う。


つまり、

  「そっとしておけ。」

とか

  「これ以上、何もするな」

とか。。。


そして、穏やかに話し合おうと思っても、
それを第3者から見ると穏便ではないと見えるのはなぜだろうか?


単に話そうとして向き合っているだけで、
声を荒げているわけでもなく、静かに話している時でさえも。


本当に、とっても不思議である。


日本では、話し合うことに抵抗がある人が多いように思う。
しかも、こういう場合の話し合うは、いがみ合うというイメージがあるような感じがする。

これでは、いざ声をかけようと思っても、ちっとも良い方向には進まない。

結局、第3者が入って、うやむやになるのだ。

そして、、、
「これ以上、何もするな」



これが、果たしてよい結果を生むのだろうか?



私は、決してそうとは思わない。

感情的にならずに、お互いの思いを話すことをすれば、
とっても生産的な未来を創造できるのに。


せっかくのそのチャンスに蓋をして、無事に済むようなことは、そんなにない。

次にはもっと大きいことが起こる。


そして、しまいには爆発する。
もしくは、どちらかがいなくなる。


もしかして、みんなは、この結果が好きなのだろうか?


異物を排除する、かかわらないようにすることばかりを気にして、
どうやったらこれから先、気持ち良い関係性を構築することができるのか、
という考え方にならない。


それで本当に良いのだろうか?
大人の考えなのだろうか?


これも一つのチャレンジ。
みんなで乗り越えてみたい。

この先の良い関係性のために。



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